ロボコン社長 レゴ マインドストームと成長の旅

「ロボット国際大会の経験がケンブリッジ大での学びに通じている」–WRO世界大会銀メダリストに聞く未来 前編

前編

このシリーズでは、ロボコン社長ことアフレル代表取締役社長の小林靖英が、レゴ® マインドストームとともに成長してきた人々のストーリーを紹介していきます。

最初のゲストは、ケンブリッジ大学工学部に通うユング開さん。小学生のときにマインドストームに出会い、その後WROやロボカップジュニアの国際大会で6個のメダルを獲得し、その実績が認められ孫正義育英財団の一期生に認定されました。現在は、イギリスのケンブリッジでロボット開発の研究を行っています。

ユング開さん

ユングさんがマインドストームとともに過ごしWRO国際大会に初挑戦した小学生時代の思い出から、現在のロボット研究にかける思い、さらには20年後の目標までを、彼の通うケンブリッジのカレッジを訪れ、じっくりと聞いてきました。前編では、ケンブリッジでの生活や、WRO国際大会でのエピソード、さらに日本の優れた才能をもつ若者をサポートする孫正義育英財団について紹介していきます。

※WRO(World Robot Olympiad)
世界の74カ国地域、約30,000チームの80,000人が参加する小中高校生の国際ロボットコンテストで、日本国内では毎年2,000チームが参加している。 レゴ® マインドストームを教材としたロボットを作成し、いかに速く正確に課題をクリアするかを競う。
・WRO Japan https://www.wroj.org/
・WRO国際 https://wro-association.org/home/

※ロボカップ/ロボカップジュニア
日本発のロボット競技大会で、現在40か国以上が参加している。高校生以下が参加できるロボカップジュニアでは、サッカー、レスキュー、オンステージという3つのジャンルが用意されている。
・ロボカップジュニアジャパン https://www.robocupjunior.jp/index.html
・ロボカップ国際委員会 https://www.robocup.org/

日本のインターから名門ケンブリッジ大学へ

ケンブリッジ大学のカレッジ前に立つユング開さん
ケンブリッジ大学の工学部前に立つ
ユング開さん
ケンブリッジ大学
ケンブリッジ大学

京都出身のユング開さんは、現在大学3年生。イギリスの名門ケンブリッジ大学工学部に通い、学部生のメイカースペース Dyson Centre や Bio-Inspired Robotics Laboratory で日々ロボットの研究を行っています。

ユングさんが、難関ケンブリッジ大学を目指したのには、2つの理由がありました。

「ひとつは、教育システムが充実していることです。ケンブリッジでは、最初の2年間はまんべんなく工学という学問を学び、その後専門に進んでいきます。また、講義だけでなく、教授や研究員の方が少人数制のセッションを行ってくれるなど、ケンブリッジならではの学びの環境に魅力を感じました」と、ユングさんは話しています。

そしてもうひとつの理由が、「上を目指したい」という挑戦でした。ケンブリッジへの入学は簡単なものではなく、現地の学生と同様に、まず大学への受験資格を得るために、志望動機書や高校での成績を提出する必要があります。

「大学への受験資格を得たのちに、さらに高校での最終試験で優秀な成績をとり、ケンブリッジが指定するテストを受け、現地で教授によるインタビューを受けました。インタビューでは、自分のレベルでは答えられないような専門的な質問もありました。僕の場合は、物理の質問が2問で、その問題をどのように解いていくかを伝えるというものでした」

ひとつひとつの課題をクリアし、2017年10月、ユングさんは晴れてケンブリッジの学生としてのスタートを切りました。

研究から後輩指導までロボット尽くしの毎日

ユングさんとロボコン社長アフレル・小林

2019年秋、ロボコン社長アフレル・小林は、イギリス・ケンブリッジ大学を訪れて、ユングさんのカレッジやラボを案内してもらいました。「講義が終わって時間があればここにいます。昨日は1日中いました」というラボには、様々なロボットや部品がありました。そのひとつ、レスキューロボットはユングさんが2年にわたって作り続けているものです。

レスキューロボット
カレッジ内にある「Dyson Centre」

研究中のレスキューロボットは2年間にわたるプロジェクトで、リーダーを務めているユングさん。ソフトウェアは、ROS(Robot Operating System)をメインに、制御や画像認識はPython、さらにC++など、複数の言語を活用しています。

「1年生の時には、ロボットを作るのに必要だと思い、メカニカルデザインを学びました。それ以外にはロボカップレスキューの大会に出場し、2年生になると自分でロボットを作って課題に挑むWROのような大会もあります。また、1年生に向けたロボティクスのインストラクションコースを担当し、毎週のセッションのほか、ロボット大会の管理・運営を行っています」と、まさにロボット尽くしのユングさん。それだけでは飽き足らず、ロボティクス部の部長を務めています。

「ロボティクス部では、部長としてプロジェクトの管理や、スポンサーとの交渉も行っています。部でロボットサッカーを行うために、2足歩行ロボットの『NAO』を複数導入できるよう、企業などと資金調達をしている最中です。サッカーのほうも研究して大会に出場するなど、どんどんできることを増やしていこうと思っています」

1年生でロボティクス部を再建

ユングさんの活動範囲はロボット分野だけに留まりません。スポーツでも、フライングディスクを使ったスポーツ”アルティメット”でカレッジリーグに出場、さらにバレーボールの大学リーグチームにも所属し、多忙な大学生活を送っています。

ケンブリッジには31のカレッジがあり、それぞれ異なる趣がありました。

「友だちも、工学部だけでなく、カレッジやスポーツなどで沢山できました。バレーは大学のリーグチームなので、週2回の練習と試合があります。高校時代から色々とやってきましたが、片道2時間かけて通っていた高校に比べると、通学時間がない分楽ですね」と、話すユングさん。なんと、入学式当日には、友人とさびれていたロボティクス部を立て直そうと計画し、2年目の現在は代表としてロボット大会に出場するまでに至っています。自分のやりたいことを決め、それを実行にうつす計画性と実行力を持ち合わせている印象を受けました。

小学生でロボット制作の難しさと楽しさを知る

世界から強豪が集うWRO国際大会の風景
世界から強豪が集うWRO国際大会の風景

そんなユングさんがロボットに出会ったのは、小学生のときでした。

「小学3年生から、両親にすすめられて地元の科学教室「科学の学校」に通ってました。そこで、レゴ マインドストームRCXを使ったロボットサッカーを体験したのがロボットの出会いです」

もともとレゴ好きだったユングさんですが、マインドストームでの体験は面白いと思ったのものの夢中になるほどではありませんでした。そして周囲にすすめられて、あまり気が乗らないまま、小学5年生の時に「ロボカップジュニア」の大会に参加したといいます。

「ロボカップジュニアでは、サッカーとレスキューの2つの競技に参加しました。レスキュー部門でライントレースを体験し、初めて自分からこれが面白い、もっとやってみたいと思ったのです」

その楽しさの根幹にあったのが、うまくいかない難しさでした。「うまくできたら楽しいけれど、同時に難しさも感じました。とても単純に見えるのに、どうしてできないんだろう。という気持ちが、やる気を起こしたのです」と、負けず嫌いのユングさんにとって、初めてロボットへの挑戦に火がついた瞬間でした。

悔しさをバネに、世界大会の常連へ

挑戦者となったユングさんは、あっという間に小学6年生で参加したWROの全国大会3位を獲得し、マニラでの国際大会へと出場することになりました。ここまで、順調に進んでいたユングさんでしたが、国際大会の壁は高いことを思い知らされます。 「全国大会までは運よく行けましたが、国際大会では何もできずに敗退。マニラで表彰式を見ながら『いつか国際大会で絶対メダルをとってやる!』と心に誓いました」

こうして奮起したユングさんですが、翌年さっそく壁にぶつかります。 「2011年のロボカップジュニアでは全国大会まで行ったものの国際大会には届かず。そして、2011年のWRO、2012年のロボカップジュニアでは地区大会で終わってしまったのです。このとき、2010年の快進撃はビギナーズラックだったと感じました」 でもそこで終わるユングさんではありません。

「一度、自分のやりかたを見つめ直しました。何がだめだったのか、できるチームとの差は何なのかを考えました」 中学生にしてそう思い至ったユングさんは、「結局、おもしろいクレイジーなロボットを作りたい」のか「タスクをクリアしたいのか」ということを考えます。結果、「どちらもあればいいけれど、どちらかと言われたら、自分はタスクをクリアするロボットが作りたい。それができなかったら意味がない」と、思い至りました。そして、「タスクをクリアする」ことを第一条件として、何が必要なのかということをもう一度考えようというアプローチに変えたのです。

こうして2度目の大きな壁にぶちあたったことで、自分のアプローチを改めて考えるようになり、その結果として、2012年のWROから再び大躍進。全国2位から、マレーシアの国際大会へ進出するまでに復活しました。

「予選は8位までしか行けませんでしたが、3回中1回は満点をとることができました。

世界一のレベルも見ることができ、現在の自分のレベルであれば、もっと差を詰められるんじゃないかと思いました」 翌年以降も、ロボカップジュニアとWROという大きな2つの大会へ挑戦し、受験で引退するまで、ユングさんは計7回の国際大会出場と6つの国際的なメダルを手にしました。 受験前の最後の挑戦となった2015年は、ユングさんにとって特に忘れがたい大会のひとつです。ロボカップジュニアの国際大会で見事優勝を果たし、ついに世界のトップに立ちました。その2日後にはWROの京都大会に出場して全国大会へ進出、ドーハのWRO国際大会で2位という好成績を残しました。2013年に続いてWROとロボカップジュニアの両方でメダルを手にし、有終の美を飾ったのです。

ユングさんのチーム「robotics X」
2015年WRO国際大会で2位をとった、
ユングさんのチーム「robotics X」。

最後のWROで世界のトップと並んだユングさんは、残りの高校生活でケンブリッジ大学への入学という新しい挑戦に取り組みます。

WROでは、いかにして課題に適したロボットをつくりあげ、目的を正確に実現できるプログラミングを組めるか、ハードとソフトの両方の能力が求められます。ユングさんは、国際大会に取り組んできた経験から、多くのことを学んだといいます。

そこで、後編ではユングさんがWRO国際大会という特別な体験からどんな気付きを得たのか、さらに彼が目指すこれからの未来について紹介していきます。

後編

2019/12/16